0⇔∞(仮・はてなブログ継続)

こちらのブログは、はてなダイアリーの同タイトル日記から継続しています=管理人は一緒です(Twitterと以前のブログ含め管理人筆者は男ですよ)

戯言、雑言:コンピューターゲームのRPGやシミュレーションゲーム

 以下は全てコンピューターゲームのお話しです。一部例えとして現実は登場しますが、現実と家庭用ゲーム機の世界を絶対に一緒にして考えないでください。
 こちらの日付などカテゴリー[1980,90年代]内には関連記述ばかりです。

 コンピューターRPGは生産された同一タイトル同一機種同一版において、全て同一のストーリーを持つのは当り前である。しかし、移動した場所、歩いた場所に歩数、レベル上昇時における能力値のプラス、マイナス。敵キャラクターとの戦いにおける選択肢の変化であり、仲間の変化、入手したアイテムの順序、基準となる場所へ到達した時のレベルに当然、キャラクターの名前などなど挙げれば際限ないが、全て同じとなることはほぼ無い。マルチエンディングを持つコンピューターRPGだろうと、それは同じ。ラストシーンが同じでも、遊ぶ度にその遊び方は全て異なる。
 これはコンピューターRPGだけではなく、シミュレーションゲーム、アクションゲーム、シューティングゲーム、その他全てにも共通する。
 コンピューターゲームソフト1本1本全てに遊ぶ人の個性が反映され、同じラストシーンでも、そこに至る途中の行動は、細かく見ると遊ぶ度に毎回完全に、異なる。
これでも同じだと言う奴は、毎日の出勤、通学などで同じ所を同じ間隔、歩幅で歩き、同じだけ酸素を取り込み、エネルギーを消費し、動いてるときの指の動かした方向から角度、瞬きした回数に場所、速度、坊主は省いて、髪の毛が風になびいた本数、服に付着したゴミの数から何からなにまで全て毎日同じという事と同じ意味を持つということをよく考えろ。

 このブログ管理人はコンピューターゲームで遊ぶ場合、以上の事柄から毎回違う遊び方をしています。大まかな選択肢においてもちょっとずつ変更を加えながら遊んでいます。同じになることもあります。人間ですから、それに誰にも影響を与えない一個人の限定された趣味の領域ですから、気分次第です。当り前です。

 このブログ管理人の知ってる限りではドラゴンクエスト1(登場する敵から全て1人)、物語の途中で一時的に1人になる場合やら、キャラクターを育て、成長させることで単独でも行動可能になる場合などを除けば、ほとんどのRPGやシミュレーションゲーム・・・とくにコンピューターRPGは複数人数が主人公やそれに準ずる役割で登場する。テーブルトークRPGも1人で遊ぶことは不可能といっていい(出来なくもないが、空しく、遊ぶ意味がない)。
 ほとんどの場合、ボスキャラ=強大な敵・・・普通は1人で登場する敵を複数人数で攻撃する内容で話しが進む。これをイジメや卑怯者の扱いとするのはお門違いである。そこに辿り着くまでの敵は複数で襲ってくる場合がほとんどである以上、主人公側が複数で対応するのも当然。それをよしとせず、その場でレベルを上げ続け、1人でも倒せるようにして話しを進めるのも遊び方の一つだが、そうするとストーリーそのものが壊れる事が多く、もしくは1人で進めるのはほとんど無理なように作られている場合もあり、無駄な努力に終わる可能性は極めて高い。1人でRPGを終了する事にそんなにこだわるのであれば、1人=コンピューターゲーム内の主人公が1人で話を進められるコンピューターゲームを選んで購入して遊ぶべきで、無理にそんなゲームで遊ぶ必要などどこにも無い。小説を買ってきて読み始めたが気に入らず、途中から自分で話しを作るようなもので、だったら最初から買わなければよく、今ではリサイクルショップがある程度の値段で買い取ってくれるのだからいくらかは戻ってくる。
 シミュレーションゲームの場合、このブログ管理人は1人=遊ぶ人間が1人。複数人数ではない1人で遊ぶジャンルと決めている。歴史物から競馬SLG、スポーツチーム運営やら様々なジャンルがある。そして、これほど遊ぶ人の性格や趣味が反映されるものもない。言い方は悪いが「一人でニタニタ笑いながら」遊ぶのがこのジャンル。用意された世界の住人となり、自分の出来る範囲で思うがままに箱庭を作り、自己満足する。人によってはプレイ内容を誰かに話したくてウズウズしてる人もいれば、その内容を誰にも見せられないことだってあるだろう。シミュレーションゲームをどのように遊んでいるのかを公開する事は、交換日記を誰かに晒す、秘密がある知られたくない情報のある携帯電話をロックなしに放置するか、全員に見せる、恋人との夜を全て余すことなく説明するのとほぼ同じ意味を持つとこのブログ管理人は考える。このような内容を書いてるブログなんかのアクセス数が、当ブログを除いて比較的多いのも「どんな遊び方してんだろ」と、興味あるからだと思います。

 オンライン対戦型や、2人以上で遊ぶ事が絶対条件でもない以上、普通のコンピューターシミュレーションゲームは、遊ぶ人1人1人・・・それぞれが、誰かと競うのではなくその世界の歴史を自分で創り上げるもの。1人でする一種のオナニー、マスターベーション。とても個人的空間。「人のセックスを笑うな」っていう映画がありましたが、それは人間2人以上でするもの。相手のことを考えるのは当然です。自己満足だけなら最低。対してコンピューターシミュレーションゲームはコンピューターが相手とはいえ、人間は1人。その人が好きに=気持よければそれでいいのですから、その差は歴然としてます。「人のオナニー/マスターベーションを笑うな」という題名なら完璧でしたね。歴史を尊重して遊ぶも良し、ひっくり返すも良い・・・。人に見せられるかどうかといえば、人によっては難しいでしょう。現実のオナニー、マスターベーションは見せられませんが、このブログ管理人は隠す必要など無い遊び方をしてるので、実際のゲーム画面を見せる事に何の抵抗もありませんが、ブログまで使って公表するタイプではありません。そして、人の遊び方をマネすることは永遠にありません。他の日付にも書いてありますが、こんなブログ管理人がどんな内容で遊んでいるか知りたいという珍しい人は、このブログ管理人に心当たりある場合、直接連絡して下さい。さらにはコメント欄にメールアドレスを書き、その上で身分を明かし、直接会える方にのみ、全てをお伝えします。それ以外の場合は知りたくない又は知る必要が無いと同じという事です。見たい方は連絡してくださいね。いつでもどうぞ。ゼロから∞まで、どうしてそのようにしているのか説明してあげます。そういう意味で、オナニー/マスターベーションに勝ち負けはない。その人が気持ち良くなることだけが唯一にして最大の目的だから。
 シミュレーションゲームはその世界のリーダーになることであり、経営者になることとも似ている。一番偉い人が「誰かに聞いてきます」「どうしたらいいのか知りません」「誰々が決めないと何も出来ません」「何をしたらよいのか誰かの行動を見ないと決められません」「誰かの考えを聞かなければ、真似しなければ何も出来ません」というトコロは何処にもない。サッカーをする時にフィールド上で「次、この様にボールを蹴りなさい」「このように走りなさい」などと指示をされなければ動けない選手は存在しないように、スキー場でスキースクールや試験ならともかく「このように滑りなさい」「このように上から下までどのルートを通って滑ってきなさい」などと指示されなければ滑れないスキーヤースノーボーダーなど存在しないように、自分がその世界でどのように行動したいのか、オナニー/マスターベーションするにあたって、自分がどうすると気持よいのかを誰かに聞くか、誰かの行動・思考・試行を待ってからでしか動けない人は、シミュレーションゲームに不向きであり、楽しめない=リーダーであり経営者、人の上に立つ資質が無いかもしれない。その分野の知識が一切無い。自由な空間で自由に動けるもの。そもそもコンピュータゲームにおいて「目標でありその与えられた世界で自分がどうしたいのかを外部の第3者=誰かから与えられなければ何も行動できず、考えられず、決められず、探求出来ない人」は、たとえ小学生低学年やそれ以下としても、その分野に入るに足りていない。特にシミュレーションゲームに代表される箱庭ゲーム=進めるに、その分野の知識経験などが必要とされるゲームなどを始める時期ではまだない。ターン制やら競馬SLGによくあるような変わらない番組表による「繰り返し」の行動=日本語での「重賞(グレードレース)」が、英語の「パターンレース」であるように、繰り返し行われる事が前提となっているような(現実は様々変更あれど)競走体系の場合であるなら尚更だが、似たような事の繰り返しに耐えられない人、そのような行動を見ると邪魔したくなる人なども、あまりこの分野には適していないかもしれない。

  ・・・と、他の日付にも書いてありますが、念のため。
 ピンク映画は別として、視聴率高そうな時間帯のTVドラマなどでベッドシーンはあっても、オナニーシーンを演じた有名男女優さんやアイドルは少ないだろうな・・・だとか、ふと思う。・・・・・・・そういうことですね。ただ、男の超絶美形は別として、女優さんやら綺麗な女性の場合、したくなったら適当なオトコに声かければ催眠術にかかったように言うこと聞くわけだから、1人で慰めることなどないだろうけどね。気分がそうなったら気軽に棒探し。後は入れるだけ。だから、そういうこと。

 複数人で遊ぶのは現実にカードゲームやボードゲームなどで遊べるものが多く、わざわざコンピューターで遊ぶ必要は無い。昔あった「いただきストリート」なんかは「モノポリー」やら「人生ゲーム」的だが、コンピュータゲームでも楽しめ、ルールを決めてみんなでワイワイ騒いで楽しく遊ぶもの。
 シミュレーションゲームの場合はゲーム内で定められているか、一応の目安となるような達成目標が設定されている。普通一台〜複数台の同型家庭用ゲーム機を使用し一つの部屋もしくは家、決められたセーブデータを複数人数で交替しながら作業的に進める場合や、遊んでいるのはそれぞれ一台の家庭用ゲーム機又は複数台の同型家庭用ゲーム機を使用しセーブデータも一つで、その場で遊んでいるのは1人だが、大きく見ると数十人、数百人もしくはそれ以上のグループとなり役割分担された中で遊ぶ=この場合は作業とする手法と、このブログ管理人のように、そのジャンルが好きで普通に1台のゲーム機、誰、どこのグループでもなく、1人で単純に楽しみながらじっくりと進めている場合では決定的に異なるので完全にその評価は区別する。これは別次元の話しであり、同列になど並んで話せる事柄では絶対にない。これを同じと考えるということは、1人でマラソンを完走する事と100人で同距離を分担して走るのが完全に同じという感覚の持ち主であって、それはこのブログ管理人とは完全に異なり、同じように評価してもらう必要は一切無く、もし点数を付けられるのなら、喜んで、自ら率先して0点をもらう。バカにするのもいい加減にしろ。
 さらには個人差もあり、人によっては完全に終わらせることで、他の人ではある程度の段階で満足する人もいるだろうが、そうではない人もいる。これもまた当然のことである。これに関してはこのブログ管理人個人というより、家庭用ゲーム機で遊ぶことを楽しみにしている人の為にも絶対に譲らず、これに変わる文言はこの世に一切認めない。これは独裁でも何でもなく、一趣味として当然のことである。

 関連した事を他の日付にも書いたが、このブログ管理人がコンピューターゲームをする場合の決め事としての一つに、誰かが遊んでいる途中から引き継いでゲームを遊ぶことはしない・・・ってのがある。ゲーセンにおいて他人のコンテニューで遊ぶことも当然しない。中古で購入してきてデータが入ってる場合も当然消す。だから、このブログ管理人が遊んでるものは全て、このブログ管理人が1人で最初から最後まで遊んでるものです。 だから、シミュレーションゲームやRPGを途中から遊ぶ人の事を理解できない。小説やマンガで言えば途中から作者や関わっているスタッフが完全に変わるのと同じ。絵も人物設定も、ストーリーも完全に変わってしまう。一本道のRPGにしたところでそれは同じ。マルチエンディングものなら尚更。シミュレーションゲームも同様。とある国や育てていた事柄は、ゲーム内年月の数年、数十年やもっと先を考えて進められているのが普通で、途中まで進めてあるデータから始めるのはこれまた難しい。前任者がある狙いを持って進めていたのは100%確実で、その意図を完全に把握することはほぼ不可能に近い。様々な例え方が出来る。勉強に例えてもいい。一切勉強していない人が突然大学やら高校などの授業を受けて理解できるか。もしこんな無謀な状況があったとして、天才でもない限り徹底的に勉強するだろう。ここを適当にすると駄目になる。人間の成長と人間関係としてもいいだろう。心身共に成長した後(必ず中学生以下)とまだ小さい時(5歳以下)、途中から誰かの人生を動かす立場=親になるとして、より深いコミュニケーションが必要なのは、理解が必要なのは、ある程度進めてあるRPGでありシミュレーションゲーム=心身共に成長した側。そこを適当にすると、必ず壊れる。コンピューターならやり直せるが、現実の人間だともう戻れない。その人の人生は壊れる。確実に壊される。壊した側は現実非現実、コンピューターゲーム問わず、何かを育てる、学ぶことを、他人と協力協調する事が不可能な人。この事をどう考えるかは別としても・・・ほぼ100%事実だと思うが・・・途中のデータからRPGやシミュレーションゲームを問わず、ゲームを進める人、始める人、他人のデータを自分のデータと称して遊ぶ人をこのブログ管理人は理解できない。現実を例にしたが、当然そちらも理解できない。
 ここに書いてある基準はすぐ上を除いてあくまでこのブログ管理人の基準です。
 シミュレーションゲームの場合、支える役目のキャラクターは多いが、登場する主人公は1人の場合が多いかもしれない。そして、遊ぶ側はあくまでこのブログ管理人の基準だが、1人で遊ぶことが多いジャンルだと思う。さらにこのジャンルは前述のようにある程度目安となる目標設定こそあれど、シミュレーションゲームの魅力は、その設定を無視してもよく、遊ぶヒトの人数だけ違う世界が構築されるところ。たとえとある競馬ゲームで最高のレースがダービーと設定されていても、それは制作側の判断であって遊ぶ人によっては異なるかもしれず、些細なことだが、そこがこだわりとなって世界が創られる。ちなみに他の日付にも書いてありますが、このブログ管理人は全部大切です。
 RPGとシミュレーションゲームは、分岐点はあり、本編とは無関係な要素が盛りだくさんでマルチエンディングだとしても完成された小説=RPGと、登場人物の設定やその世界だけが用意されてストーリーは何もない状態、未完成な小説=シミュレーションゲームとすることも出来る。
 ジャンルは変わるが卑怯という角度から考えると、アクションゲームやシューティングゲームはほぼ全てが卑怯。この場合はコンピューター=敵が卑怯である。もしくはその強さからプレイヤー側が卑怯かもしれない。
 横縦問わずスクロール系のアクションゲームやシューティングゲームはそのほとんどが1人の主人公又は操る乗り物に敵が複数で襲いかかってくる形式。世界中で有名になったアクションゲーム某マリオシリーズも最初の「マリオブラザーズ」を除けば、ほとんどが1人対複数の敵という設定(対ボス戦は1対1が多いかもしれない)。遊ぶ側=現実の人間が協力して複数人数でも遊べるが、それにしたところで相手=CPUの多さは際限無く、卑怯なことに変わりない。対戦格闘ゲームも乱入無く話しを進めると1人で全員を倒すゲーム構成だ。ステルスゲームのMGSやら天誅も同様に1人で複数の相手を倒しながら進める、天才スパイか超人のお話し。しかし、基本は「見つからずに倒す」であり、初期設定から主人公は1対1以上の戦いにおいて劣る設定となっている。・・・そんなに強くない。ちなみに天誅をゲーム内時系列別に並べると2,1、紅、3となります。MGSに天誅、衣装から設定全てに文句を言えばいくらでも言えますが、それはほぼ全てのコンピューターゲームに共通している事です。そんな事などありながら「見つからずに倒す」という今までのアクションゲームになかった要素を実現させたことは偉大です。このブログ管理人はステルス系含め、アクションゲームも昔から好きですよ。別の日付にも書きましたが、さほど強くはなかったものの、10代の頃はゲーセンでもよく遊んでましたよ。・・・とある忍者ゲームの生みの親が作った別の忍者ゲームも1人対複数。こちらはステルス要素を無視して映画の「ランボー」みたいな遊び方可能になってます。
 ちょっと話しはそれましたが、どちらにしろ非現実的。これらを「勇敢」やら「カッコイイ」と考えるのは、頭の何かがちょっと外れてるかもしれない。どう考えても無謀だが、そこは家庭用ゲーム機=現実ではないから大丈夫なんである。


 ※まだ途中。書きかけ。この先を勝手に考えないでください。