0⇔∞(仮・はてなブログ継続)

こちらのブログは、はてなダイアリーの同タイトル日記から継続しています=管理人は一緒です(Twitterと以前のブログ含め管理人筆者は男ですよ)

コンピューターゲーム脳ミソはある

  • 大抵のことは自分でする。じゃないと文句=意見が言えない。・・・その為にしてるわけではないが、当然の事として。
  • 本当に器量ある者は才能を認め、可能性を排除しない。不可解な、誰も納得しない理由で外したり、隔離せず、その可能性の芽=活躍の場であり、才能の成長を不当に潰したりはしない。むしろその逆である。あらゆる人材、才能が同等に活躍の場を与えられ、その中で最大限その力を発揮出来る環境を整え、周囲にも好影響を与える事が出来る。そして妙なわだかまりも誰かが不信、不審に思う事もない。これが出来ない人に何かを決定し、才能を育成、補助する事など無理であり、任せてはならない。
  • スポーツの審判はルールと同時に試合を円滑に進める役目がある。フェアで正しい方向に試合が進むように注意しなければならない・・・・にも関わらず、最近は審判が発火装置となり試合が爆発する、壊れるシーンが多い=その審判はその時点で資格がない。自分の役割を理解していない。
  • 最近特に感じる事:現実とコンピューターゲームの区別がつかないという意味でのコンピューターゲーム脳ミソならば存在するってこと。これは絶対いる。さらに、それぞれのゲームソフトが抱える世界観=非現実的コンピューターゲームソフトの世界観に沿った話しをしているのに、それを現実に持ちこんで喜んじゃってる頭空っぽな奴、という意味のコンピューターゲーム脳ミソも確実にいる=逆の意味でコンピューターゲームと現実の区別が出来なくなってる人。これもいる。他にもコンピューターゲームの世界=しかも非現実的非成立的感覚を現実の、常識の範囲に持ちこんでしまってる人という意味でのコンピューターゲーム脳ミソ。これも絶対にいる。100%いる。代表例としてコンピュータースポーツゲームなんてのはルールその他100%再現出来てないのだから、実際のルールを知ってるのと知らないのとでは違ってくる。コンピュータRPGなんかの世界感覚も同様。ただこの場合は、現実を基にしているものも多いため、どれが現実から持ちこまれた考えで、また、どれが現実でも通じる考えなのかを判断出来なければ、ゲーム脳ミソとなる。他の日付にも書いたことだけども、幸い、このブログ管理人は70年代中盤の生まれとはいえ子供時代遅くから我が家に家庭用ゲーム機なる物が登場したこともあり、ほぼ全ての事柄、現実が先にあった人。現実で経験するより先にコンピューターゲームで経験したことは、常識の範囲、平和であることを前提として、ほぼ一つもない人ですから。そして、出来る範囲で調べる人でもあります。全てを知ることは出来なくともね。
  • プロ=このブログ内ではアルバイトであれ報奨金であれ、お金を受け取って何かをしている事を全てプロとしています(理由は説明済み/普段お金を受け取って仕事をしている人などが仕事や場合により報酬を受け取らない場合は、普段はプロなのが一時的に無料で仕事をした、ということになり、プロには変わりありません)。・・・ならば、仕事であって報酬の額=給料は当然気にするもの。理解できる理由ならば多少の事には応じるだろうが、原因を解決せず、応急処置的に・・・しかもそれがとりあえずであって、根本的解決には一切結びつかないのが誰の目にも明らかなような方法でもって少なくなる、削られるなんて事に意見の一つ言わないバカはいない。しかもその中で「今までと同じ質と情熱で仕事を・・・」なんて言葉が出てきた時には、人としてどうかと思うね。
  • 他の日付にも書いたこと:小規模なエクスパンションチームと既存のビッグチームを買収した2通りのスタート方法がある場合、同じ基準で評価=同じ課題をクリアできるかどうかで評価してしまう人は何も理解していない。何も見ていない。何も知らない。何も考えていない。もしくは何も考える気がない。多分、頭の中には何も入ってない。その中で鼠でも飼ってるのだろう。