0⇔∞(仮・はてなブログ継続)

こちらのブログは、はてなダイアリーの同タイトル日記から継続しています=管理人は一緒です(Twitterと以前のブログ含め管理人筆者は男ですよ)

好きなコトがある余裕

  • 今日道端で誰かが積み上げた空き缶を目にし、その横でそれより高く積み上げ「やったー!」だとか騒いでる人たちがいた。しばらく後で考えたが・・・もし最初に積み上げたていた人が空き缶アートかなんかの人だったとして、真剣に積み上げたら後からちょっと高く積み上げた人など敵わないほど出来る人であった場合、その人たちはもの凄く恥ずかしい事に気付かないのだろうか。そんな想像力すら持ち得ていないようだ。そもそも「道端で空き缶を積み上げるという行為を先にされている時点で、そしてそれをマネして張り合った時点ですでに劣っている」という単純な考えすら思い浮かばない哀れな人たちだ。相手が何を目的にしてるか分からないことで無駄に、無意味に張り合い、それを上回ることだけを目的としている場合、その時点ですでに劣っていることにその人たちが早く気付けばいいなぁ〜、そんな日がいつか来るのかなぁ〜などと、何気ない日常の、無駄な一風景から。
  • この手の話しは、このブログ内で沢山書いてるように、このブログ管理人結構多い。自分自身の話として、もしくはこのように他人の事として。2009年時点で20年以上前になるが、こんなブログ管理人にどうしても勝ちたいという人が現れた。その相手をこのブログ管理人は知らなかったが、相手はこちらを見ていて知っていた。その人が言うに、ゲーセンで最下層を争うテクしか持たないこのブログ管理人(それでもこのブログ管理人より下はいる/ゲーセン世界は広いのですよ)が強者に見えたらしい。で、勝ってみたいと。しかし、その対象となったものでは差がありすぎて勝負にならない。ではとあるスポーツで・・・となったが、それは出来ないと。互いが好きで、得意で、ルールが明確、勝ち逃げしない・・・などなどがあっても成立し得ない「勝負」は結局お断りした。こんな事は時間の無駄で無意味だと相手に伝えた。相手の目的は勝つことのみ。こちらは好きでしていること。その人にも話したが、スポーツ含め、ルールのあるスポーツをしている人の九割九分がまず、そのスポーツを好きだ。そして、同じルールで試合をする。勝ち負けで嬉しく、悔しい思いなどはするが、互いにそのスポーツを好きな者同士であり、変なわだかまりもない。互いをけなし合う事も無い。練習して上手になることも出来る。何よりそのスポーツは終わらない。好きであれば、その人に意志さえあれば、続けられるだけ続けられる。その人の好きな限り。その過程で様々な・・・強くなれば負けが許されなくなる時も来るだろう。成長の過程で自分を取り巻く環境が激変することもあるだろう・・・事が起こったとしても好きであることに変わりなければ、勝った負けたはその延長線上、そのスポーツなどの一部にしか過ぎない事を誰もが知っている。幸いその人はこんな内容の話しを理解してくれた。この「好きな事に対する姿勢」はこのブログ管理人、今も変わらない。
  • 競馬の情報誌は多くあり、インターネット含めればわざわざ紙媒体を手にする必要も無いのだが、それは昔から読書好きの性格か何なのか、結果やらデータがまとまった一冊にされてピラピラとめくるだけでほとんどの情報が見られる感覚は消しがたく、昔から「Gallop(新興誌)」含め幾つか購入している。その一つに当然「競馬ブック」も入っている。データや各馬への記述も細かく、海外情報も多い・・・しかし。日本語というか、文章の稚拙さは目を覆うばかりである。無関係な事柄をやたらとこじつけたがる文面も多く、辟易しているが、それらを毎度自分で訂正(編集校正がいないかのような作り)、いい加減にしろという記述には油性マジックでデカデカと書き殴り必ず否定する作業を行っている。それら中身の一切無い100%無価値な文章など無くとも成立している情報誌だけあって別にどうという事も無いが、この雑誌に限らず、近頃の日本語文章劣化は凄まじいものがある。その数ある中の一つです。・・・のぼせ上がるのもいい加減にしろ。都合良く解釈するのも大概にしろ。人をおちょくるにも限度があることを知るべきであり、その行いがどれ程無意味で幼稚か理解できないのであれば、あのような場で言語を扱うな。
  • その試合のプレーが普段と違う「対OO用」とでも表現すべき、特異なものなのか、それともいつもと変わらないプレーだったのか。一人一人の出来として、普段と同じだったのか、不調だったのか。チームとしてその試合ですべき事として意図されたものだったのかどうか。
    • 「遊び」であってもそれは同じ。真剣だったのか、手抜きだったのか。何が目的だったのか。それともそんなものはなく、ただなんとなくそんな気分だったのか。そのような事を理解せずに結果のみで判断することほど無意味なものはなく、特に「遊び」においてはその人のみの感覚で終わる世界であって、他人の評価など入る余地は完璧に無い。その事を理解出来ない人たちは、以前も書いたようにスポーツを理解していない。しようともしない人達で、その種の人間は100%パーフェクトに無視していい。これも以前に書いたように、自ら望んで「実名公表もしくは顔/全身写真公表&公式ルール」に基づき、参加メンバーが宇宙上に公表されてる組織に加入して「スポーツor競技」としてその「遊び」を「報酬・賞品含めてセミプロ、プロのような状態で」しようと決意した以外は。
  • どれが本当のニュースで、どれが嘘か。もしくはほとんど嘘か。最近の新聞記事はそれほど嘘が多い。明らかに嘘と判る嘘が多い。
  • 単純に回数が多いからといって全て優れてるワケではない。ただ一度しかしていない人、深く考えもせず単純に繰り返ししただけの人が多く集まって重ねた3億回よりも、その分野での経験が豊富で、良作、才能があるとされている人物を多く見続けてる人が、どんなものか見極めるために思考、そして試行した100回のほうがその3億回より1兆倍の価値がある。それが証拠に、数年前からあの動きと画面は何も変わっていない=進歩していない。無駄な約3億回でしたね。これは開発者の無才能が原因です。