0⇔∞(仮・はてなブログ継続)

こちらのブログは、はてなダイアリーの同タイトル日記から継続しています=管理人は一緒です(Twitterと以前のブログ含め管理人筆者は男ですよ)

試合試合試合

  • 週半ばのリーグ戦に、延期されてた試合やら各種大会。
  • 経験不足ってのはそこから勉強して経験を積めば解消される。だれでも必ずそんな時期はあるから。でも、これほど長い期間様々な事柄に触れながら、その分野について少しの進歩もないどころか、極めて自然で当り前。完全に普通の事柄を勉強も経験もせず、理解もせずに「イヤー!!!」だけで壊してしまうクソバカの存在は永遠に理解できない。これほど幼稚な大人と接したのは人生で初めて。そして、今後二度と関わるつもりはない。それほど・・・ある意味、真剣に危険な人間だと感じるが、もはやこの種のクソバカは地球上に溢れ、様々な分野で日々犠牲になってる人々を見ると、手の施しようが無い状態。人生の大切な時期だったり、ファンとのかけがえのない絆として年齢も感じさせない技術を見せてくれてる方々に起こる悲劇であったり、怪我であったり・・・可哀想としか言葉がないものの、そのクソバカたちはこういうのを見て喜んでるのだから、誰が教えようと、実際に経験させようと、誰の言葉も聞けず、理解できない存在。
  • 現実の映像をコンピューターゲームと思ってしまうのは少し危険かもしれないが、最近はそれほど画質が向上してる。そのせいか、ゲームで「今、その瞬間」操作して遊んでる映像を見て「この動画・・・」だとか「録画見ながらコントローラーいじってどうするの?」だとか真顔で聞いてくる人がいる。ただ、今現在どれほどキレイな画像のゲームソフトでも、現実の映像と見分けがつかない「操作画面」は無い。直前操作だとかのリプレイ画面としても、それを現実と思うのは厳しい。からかいだとしても、どうかと思う。季節柄気温も冷える・・・。
  • 様々な著名人が落とされてきた手法でも、これほどまでに通用しない事だってあるという事を、彼らが勉強出来たという事だけが、近頃考えた唯一のプラス材料ですかね。要するに、ちゃんとした基礎&実力があり、経験がウソじゃなければ彼らの手法はその時点で手詰まりになるということ。彼らが強調する成果?あー?そんなものありましたか。時間を奪った?いつ?どれほど?どこから?知らないですね。彼らの強調してるものの見当はつくけれど・・・あんなものはどうだっていいこと。そこら辺で販売されてるものだよ。情報の活用が下手な彼らのために教えてあげるけどね。それじゃあ、またくだらない手法で頑張り続けてくださいね。いつでも来なさい。通用しないことを何度でも教えてあげるから。
  • 他人の日記に「どうしようもない」などと文句言ってる段階で日記(本来は公になどしないものかもしれないが)を理解してない。見られて文句言われて困るならそもそも日記とはいえブログになど書かない。
  • 廃止すべきとの指摘すら議員内から上がってる「事業仕分け」風に言えば、「看板掛け替え型」のプロ野球選手・・・最近の有名人で斎藤 佑樹投手などは成績だけでみれば織田 淳哉、三澤 興一などの「看板掛け替え型」であり、サッカー選手にいる帰化代表選手や、高校に留学してそのままJFLでありJリーグに入った選手も「看板掛け替え型」。白鵬の連勝記録も同じ。高校野球に留学してプロ野球に入った選手であり、バレーボールで帰化した人なども「引っ越し型(サッカーより先であれば逆になる)」と言えよう。さらにさらに他のスポーツの記録を・・・例えば世界選手権OO連覇など、判りやすいモノから細かい記録の部分を他のスポーツの記録に置き換えて考えてみれば「引っ越し&焼け太り型」。つい最近、しかも誰もが知ってるような事をこれ以上ないほど真似したとしか思えないような行為であれば「開き直り型」であり、終わってみればOOと同じになっただとか、過去にどこそこの誰だとかチームも同じだったから許されるような態度でいれば「ご都合主義型」と「開き直り型」が一緒になったようなもの。この「ご都合主義型」や「看板掛け替え型」が大量に存在するのが競馬の世界で、その他スポーツ、映画、音楽などなどにもこれでもかとある。裁判の判決材料で過去の判例などを参考にする事もあるようだが、それなどはまさに「ご都合主義型」。そのワリに、それらの世界ではさほど・・・いやほとんど「事業仕分け」のような言い方で拒否はされず、否定などほぼ、絶対にされない。むしろ同じである事が良いとされ、ちょっと変化を加えつつ同じだったり、発展させ、新しい方向性を導き出すなどした場合さらに素晴らしい事とされることだって多い。それは、人であり生き物の生き方そのものだからだろう。人であり生き物は大量に生まれ、世の中を生活してる。その中で「これは同じだからダメ」「これは真似してるからダメ」などと言えば、世の中の生物そのほとんどを事業廃止=殺さなければならない。それが筋というもの。現実として実行したのが世界各地で行われた大虐殺。そして今も行われてる「人間は例外とした、その他生物のゆっくりとした抹殺」。人間は優れている・・・などと言えば当然、でもその中でさえ優劣があるとする人たちも未だにいる。であるならゆっくりとしていなくとも人間含めた全ての事業廃止=全体の抹殺を主張すべきなのが「仕分け」をしてる人たちが辿り着くべき本当の行き先。その終着点を見ないでこのような主張を続けるならそれこそが「ご都合主義型」であり「開き直り型」だと気付くだろうね。・・・将来、今の仕分け隊の子供たちが大人になり、その過程で仕分け隊であった親と同じ教育課程であり人生の道筋を辿り、同年齢程度で同じように議員から仕分け隊にならなければ「節約として廃止」してしまえばいいのではないか。その時になってどのような意味があるのかが理解できるのだろう。それすら理解してなければ低脳ゴミ屑烏合の衆。