0⇔∞(仮・はてなブログ継続)

こちらのブログは、はてなダイアリーの同タイトル日記から継続しています=管理人は一緒。Twitterと以前のブログ含め管理人筆者は生物学的にも精神的にも生まれてから約半世紀変わらず2000%男ですよ。

領域

 家庭用コンピューターゲーム機には電源とリセット機能がある。だからいつでも始められ、元の状態に戻すことも出来る。手軽に、気兼ねなく何度でも遊ぶことが出来る。人間にはリセットボタンはなく、電源=命を切る・・・絶てば、もう2度と戻れない。この違いすら理解できないのであれば、存在する意味がない。
 家庭用コンピューターゲーム機用ソフトはただ終わらせるために=ラストシーンを見るためや、最終目標とされていることを達成することだけを目的とするものではない・・・これがこのブログ管理人の考え方。最新版は最新のデータじゃなければ意味は無いが、遊ぶ側はどのシリーズで遊ぶかの選択権がある。現実と同じ時間を家庭用ゲーム機の世界で遊ぶ側が再現する必要はない。そして、楽しむだけ楽しめる。
 何度も書いてるが、現実と家庭用ゲーム機の世界を一緒にする、区別出来ないのであれば、遊ばないことだ。
 「区別など無い。ゲームも現実と同じだ」と主張するのであれば、まず、身の回りやテレビなどで突然裸になれ。放送規制せず放送を続け「始めますか」と、同時に乱交や殺し合いをしてみろ。毎時間だ。それも出来ずに「同じだ」と言い続ける奴は狂ってる。

 すっかり家庭用コンピューターゲーム機及びソフト批評or批判欄と化したこの辺り=カテゴリ一帯。

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 断言しておく。
 オンライン対戦型でもない以上、普通のコンピューターシミュレーションゲームは、遊ぶ人1人1人・・・それぞれが、誰かと競うのではなくその世界の歴史を自分で創り上げるもの。1人でする一種のオナニー、マスターベーション。とても個人的空間。「人のセックスを笑うな」っていう映画がありましたが、それは人間2人以上でするもの。相手のことを考えるのは当然です。自己満足だけなら最低。「人のオナニー/マスターベーションを笑うな」という題名だったら完璧でしたね。対してコンピューターシミュレーションゲームはコンピューターが相手とはいえ、人間は1人。その人が好きに=気持ち良ければいいのですから、その差は歴然としてます。もし、人のオナニー/マスターベーションに文句言う人がいるのであれば、それはさらなるその人にピッタリ合った快感を知っていて、提供してくれる、手伝ってくれるという意味で、異なる性の方であれば大歓迎ですね。気持よく無ければ当然、無視です。オナニー/マスターベーションですから。自分が気持ち良ければいいのです。
 シミュレーションゲームはその世界のリーダーになることであり、経営者になることとも似ている。一番偉い人が「誰かに聞いてきます」「どうしたらいいのか知りません」「誰々が決めないと何も出来ません」「何をしたらよいのか誰かの行動を見ないと決められません」「誰かの考えを聞かなければ、真似しなければ何も出来ません」というトコロは何処にもない。サッカーをする時にフィールド上で「次、この様にボールを蹴りなさい」「このように走りなさい」などと指示をされなければ動けない選手は存在しないように、スキー場でスキースクールや試験ならともかく「このように滑りなさい」「このように上から下までどのルートを通って滑ってきなさい」などと指示されなければ滑れないスキーヤースノーボーダーなど存在しないように、自分がその世界でどのように行動したいのか、オナニー/マスターベーションするにあたって、自分がどうすると気持よいのかを誰かに聞くか、誰かの行動・思考・試行を待ってからでしか動けない人は、シミュレーションゲームに不向きであり、楽しめない=リーダーであり経営者、人の上に立つ資質が無いかもしれない。その分野の知識が一切無い。自由な空間で自由に動けるもの。そもそもコンピュータゲームにおいて「目標でありその与えられた世界で自分がどうしたいのかを外部の第3者=誰かから与えられなければ何も行動できず、考えられず、決められず、探求出来ない人」は、たとえ小学生低学年やそれ以下としても、その分野に入るに足りていない。特にシミュレーションゲームに代表される箱庭ゲーム=進めるに、その分野の知識経験などが必要とされるゲームなどを始める時期ではまだない。ターン制やら競馬SLGによくあるような変わらない番組表による「繰り返し」の行動=日本語での「重賞(グレードレース)」が、英語の「パターンレース」であるように、繰り返し行われる事が前提となっているような(現実は様々変更あれど)競走体系の場合であるなら尚更だが、似たような事の繰り返しに耐えられない人、そのような行動を見ると邪魔したくなる人なども、あまりこの分野には適していないかもしれない。
 歴史を尊重して遊ぶも良し、ひっくり返すも良い・・・。人に見せられるかどうかといえば、人によっては難しいでしょう。現実のオナニーは見せられませんが、このブログ管理人、コンピューターシミュレーションゲームなら他人に見せられますよ。見たい方は連絡してくださいね。いつでもどうぞ。なぜそれを選んだのか、どうしてこのようにプレーしてるのか、どんなプランでもって進めているのかなどなど、ゼロから∞全て説明してあげます。
  ピンク映画は別として、視聴率の高そうな時間帯のTVドラマなどでベッドシーンはあっても、オナニー、マスターベーションシーンを演じた有名男女優さんやアイドルは少ないだろうな・・・ふとそんな事を思いながら。・・・そういう事なんだと思いますよ。
 このようなジャンルである以上、誰か他の人が遊んでるシミュレーションゲームの進行画面=その人のオナニー/マスターベーションを見て、その人がどのような遊び方をして=快感を楽しんでいるのかを理解できない人や、少なくとも普通の遊び方をせず、特殊な進め方=個人的快感趣味で気持よくなり、楽しんでいることに気づけない人は、そのシミュレーションゲームで遊ぶに知識、経験が不足しているか、適性がない。そして、その遊び方は個人の空間であることを理解できない人も、シミュレーションゲームに対する理解と適性がない。個人と公共の区別がつかない場合も、シミュレーションゲームには適性がない。
 昔学校帰りなどによくしたことがある。ちょっと前を歩いてる人がその次の十字路でどちらに進むかを友達同士で考え、外れた人やジャンケンで負けた人が次の信号まで鞄を全部持つだとか(不参加当然OK)、ちょっと前を歩く人を早足で次の信号まで追い越せるかだとか。当然その相手はそんなコトしてるなんて知らない。だから、その人は無関係。でも、ちょっとした遊びで暇つぶしだった。相手がルールも対戦相手も何も知らない状態で勝敗が決まるなど本当の勝負などではあり得ないことだ。例えばあるコースいおいて特定の走り方で走る事を目的として走破タイムなど度外視してる相手に対して、相手は知らない状態で本気のタイムアタック勝負を挑んで勝ったところで無意味である。相手が結果を度外視してとあるデータ収集や、実験として試している内容に対して本気の勝負を挑み勝つ事なども無意味である。相手は一切の基準となる数値やら目標無くその他の目的で進めている物事に対して、その中で出てきた数値や結果を参考に、手本にしてその内容を上回ることを目的としてる側がその数値などを上回ったところで、これも無意味である。この事を理解できない人がシミュレーションゲームやRPG,育てゲームなどを遊び、他人と勝負するなどと言い始めると大勢が迷惑する。これらのジャンルは厳密なルールが無い場合において、遊んでいる人にその気が無い時点で勝負など発生せず遊んでる人が1人で楽しむもので他の誰かと競い合う必要の無いジャンルだということを知らない時点で、単純に迷惑なだけだ。これが理解できない人はこれらのジャンルに適性が無い。これは、断言する。

 コンピューターゲームのジャンル:シミュレーションゲームってのはさ、その題材を少しでも知らないと楽しめない。知らないと単純な作業の連続になる。その題材が好きで、どんな小さな事でもいいからこだわりを持ってプレーしなければ意味がないといってもいい。それがあるから、画面上でちょっとだけ・・・他の人が見れば「はぁ?」と思うような変化があるだけで心の底から喜びが溢れてくる。
 箱庭たる限定された世界には遊ぶ人の性格、そのジャンルでの好みなどが反映され、一つ一つ異なる世界がそこにある。最近の競馬ゲームならば人によって繁栄する血統=種牡馬などが異なってくるなんてのは序の口だろうね。バランス良く発展させる人もいれば、集中的にある系統を延ばし続けようとしてる人だっているだろう。要するにもし、100本の競馬SLGソフトがあれば、100通りの、購入者の考えが繁栄された世界が広がる。これがシミュレーションゲームというジャンルの特徴であり、これがなければシミュレーションでも何でもない。そして、ゲーム終了となる明確なラインが示されていない作品が多いのも特徴かもしれない。購入者それぞれの遊ぶ方法、続ける理由であり、目的、そのシミュレーションゲームを終わってもいい理由、達成感やら満足感が用意されている。例え誰かと偶然同じになった部分があったとしても、それはそれ。基本的に1人で遊ぶ事の多いとこのブログ管理人は考えるゲームジャンルですからね。普通はその世界にコンピューターとプレイヤーだけが存在する世界。その中で展開されるからこそ、箱庭ゲーム。
 そういう意味でこのブログ管理人が遊ぶ時に邪魔されたくないのは、がさつで、根気、忍耐力が無く、気配りが出来ず、観察力無く、そこから答えを導き出す力も弱く、ゲーム画面だとしても本物の親のような愛情を持って接することも出来ず、集中力、探求心、研究心などが足りない人。こういう人はこのブログ管理人が一番嫌いな人のタイプでもある。
 ただ、どうしても乗り越えるのが難しい邪魔がある場合=決定的なプログラミングエラーや、外部の人間から悪意ある妨害などがある場合などは、一つの方法にこだわらない。そこまでバカではない。これはプライドというより頭の問題。責任は100%完璧に自分には無いですからね。

 ・・・兵器について知識の無い人が大戦略などで遊んで何が楽しいのか。馬に興味がなく競馬ゲームをしてどこが楽しいのか、そのスポーツを知らずに各スポーツシミュレーションゲームを遊んで楽しいのか。ワケの解らない名前やら専門用語が並ぶ画面や説明書を眺めて楽しいと感じる人はきっといない。こう考えるのは間違ってないと思うよ。

 そのジャンルの知識が一切無い人などがそのゲームをクリア=制覇出来ないと言ってるのではない。コンピューターゲームはそこまで難しくはない・・・特に最近のは。それに、人間生まれた時は誰も何も知らない。
 だから、「あんな事言いやがるからやってやる!」ってな理由でもない限り、自ら進んで楽しくない事に時間を費やす人はきっといない。その先に「ほら、そんなことない。見たかこの野郎!」と、叫ぶか、見せつけられない限り、そんなことに意味はない。当然だが、単純にそのジャンルが好きな人にそんなマイナスから発生する原動力など一切必要ない。
 マイナスの原動力が必要な人には、不思議に見えるであろう作業や、無駄にしか見えないであろう時間の使い方がその人にとっては楽しい時間なんだということも理解出来ないだろう。
 遊んだことはないが、ポケモンだって同じだと思うよ。変な遊び方したら子供は怒ると思う。ポケモンにはポケモンのストーリーがある。ルールがある。想像できるよね「違うの!!OOはOOじゃないの!!」って怒ってる姿が。ここの管理人はポケモンを知らない。だから、遊ばない。
 他の日付にも書いてあるが、幸い、このブログ管理人は1970年代中盤の生まれとはいえ子供時代遅くから我が家に家庭用ゲーム機なる物が登場したこともあり、ほぼ全ての事柄、現実が先にあった人。現実で経験するより先にコンピューターゲームで経験したことは、常識の範囲、平和であることを前提として、ほぼ一つもない人ですから。そして、出来る範囲で調べる人でもあります。全てを知ることは出来なくともね。要するに、順番として:現実生活があり、実際に興味などがあり、現実で経験して、その後、余興的にコンピューターゲームがある人だということ。・・・・ただし。作っている側がきっと真剣に作っているであろう事を考えると、遊ぶ側も出来るかぎり真剣に遊んでますよ。
 スポーツは夏冬問わず続け、子供の頃から馬や動物と親しみ、実際に乗馬もし、競馬にも興味を持って子供の頃からレースを見て、中学生頃から競馬ゲームに血統、専門紙とふれ合っていたこのブログ管理人にとって競馬SLGに限らず、その他見続け、自分でも経験しているジャンルが普通のゲームに思えるのは当り前の事です。だからと言って深く深く知り尽くしているワケではありません。血統の場合はそれこそ地球中に広まってるものですから。

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 他の日付にも書いたが共通するのでここにも書いておく。追記あり

  • 大勢で何かをしなければならないという決め事がある場合は完全に別な事。・・・簡単にする。粘土がある。誰かが自分の考えた物を作る。その横で誰かが同じように粘土を目の前にして「同じ物をつくりたい」もしくは「同じ物が欲しい」と言う。・・・何処でもいい、紙と鉛筆を持って近所に出掛け、絵を描く。好きな風景を決め、描き始める。出掛けなくてもいい。頭の中で作り出した事を描いてもいい。その横で誰かが紙と鉛筆を前にして「同じ絵を描きたい」「同じ事を考えて絵にしたい」と言う。・・・厚紙をハサミで切り、様々な形を切り出しては組み合わせ、何かを創る。その横で誰かが厚紙とハサミを前にして「同じ物を切りたい」「同じ物を創りたい」と言う。・・・同じでいいかもしれない。ただ、ある程度限界のある事とはいえ、自由に何かを創り出せる環境がある時に、人と同じであることを何より大事と選んでしまう人は、どうなのかと思う。何かを創り出すことに適していないのではないか。だからといってこのブログ管理人に創造の才能が人よりあるなどとは言っていない。むしろ普通。昔の事だが、授業で外に絵を描きに行った。きっと、誰でもあるだろう。決められた場所で何を描いてもよかった。こういう場合、このブログ管理人はだいたい1人やら少ない人数になる。間違ってもグループを作ってどれを描こうかなどと相談しなかった。結果として同じになる人はいても、最初から誰かのマネはしなかった。・・・そりゃいましたよ、そんな時にも集団で動くのは。普段どう思うかは完全に別として、何故なにかをたとえ限られた範囲とはいえ創り出すことが出来るのに、人と同じ事が楽しいのか理解出来なかった。同じ風景とはいえバラバラに描いてるのだから別にいいのだが、そこまで一緒にならなくとも・・・これは今でも変わらない。最近こんな人を本当に多く目にする。見る度に、特になにも言う気はないが、それは違うと思ってる。

 家庭用コンピュータ機用シミュレーションゲームは完全にこの例に入る。このブログ管理人は未婚で子供もいないが、もし、自分が親で、同じシミュレーションゲームを実年齢の低い子供が遊んでいるとしよう。そのシミュレーションゲームで「同じことをしたい」と言うのであれば、止めさせるか、「自分で考えること。これは、自分の世界を創る遊び、データを見ても、完全に違う物を創れるのがシミュレーションコンピューターゲーム。結果として同じになっても、自分の頭で考えられないのであれば、自分の好きな世界を創ろうとしないのであれば、自分の好きな世界が探せない、自分の好きな世界をそのシミュレーションゲームの中に見つけられないのであれば止めたほうがいい」と言う・・・まだその時期じゃないのであればさせない。遊んでも楽しくないだろう。自分でシミュレーションゲームの楽しさが理解できるようになるまで待つしかない。人には適してる事と適してないことがある。もしかしたら適してないのかもしれない。だったら自然と離れるだろう。楽しさが理解できれば説明などしなくても勝手に遊ぶ。限定された世界とはいえ、誰かのために何かを創る必要も無く、自分の世界を探して創り出せるのに人と同じことを何より大事と選んでしまう人は、この状況下で創り出すことに適していない。その人にとってその世界は無意味だ。

  • 失笑。「速けりゃいいじゃん」何かのレースに使われてるキャッチフレーズ。だったらチンタラ歩いてる奴等を全員轢き殺せ。普段から歩くな。遅い車に実生活で乗るな。公道で普段から世界最速の車に乗れ。バスを見たら爆破しろ。世界中全ての飛行機を戦闘機並みの速度にしろ。デカイだけの飛行機は全て爆破しろ。「速けりゃいいじゃん」=速けりゃ何でもいいんだろ。だったらそうしろ。出来ないでそんな事言うな。速いのが全てなんだろう。簡単じゃないか。今すぐ実行出来ることばかりだ。出来ないのであれば、口だけの腰抜け。