0⇔∞(仮・はてなブログ継続)

こちらのブログは、はてなダイアリーの同タイトル日記から継続しています=管理人は一緒です(Twitterと以前のブログ含め管理人筆者は男ですよ)

台本の無い人生を生きられない、ありとあらゆる事に対して先例が無ければ髪の毛一本すら動かせない人々

 そして、自分の意見が無い人であり、自分で勉強できず、自分で決定出来ず、その決定に自信が無い人。
 今のスポーツ選手や政治家、マスコミ含め、社会に影響あるほぼ全てがこのような人々で占められている。
 だから、このような事を「普通の人間であれば当り前に出来る、このような事を当り前にしている人たち」に対して邪魔するような言動を吐き続けている。なぜか。社会に影響ある場所にいるほぼ全ての存在が、最高決定権のあるほぼ全ての存在が、一切責任の無い何の変哲もない一般生活を過ごす他の誰かを真似して動いてるため。

  • 以前も書いたが、現実において生まれながらの天才などはほんの僅かな存在。順調に育つかどうかも定かではなく、過保護にしたためにその他の優れた存在を潰したのでは意味はなく、さらにはどれが本当の才能かなど現実において生まれた直後に見極めることなど、不可能。しばらく後、成長した後で明らかに突出した才能ならばその分野の誰でも理解できるだろうが、そんなに人は、命は簡単なものではない・・・ってな事を全く理解してない人たちが「人を育てる」「才能を育てる/見極める」ような立場にいる事が多いと日々思う。全ての結果=人生のおいても、日常全ての事柄についてこれから先何が起きるかを知らなければ、誰がどのように成長するのか、どんなことをするのか、世の中の出来事全てがこれから先どのようになるのかをを知らなければ何も始められない、何も出来ない、何も決められない人が今の世の中、大半を占める。これは予測とは異なる。だから、全て結果ありきであり、その途中経過が滅茶苦茶。「とある決められた結果に対してどのような理由をつけるか又は筋道を作るか」のみが考えられてる為に、新聞、雑誌、TV,インターネット上含めた情報のほぼ全てであり、スポーツの試合内容などが茶番と化してる。ニュースや選手の試合後のコメントなどが完全に固定された内容、文章の繰り返しになってるのも特徴。それを当り前だと思ってる異常さにも気付いていないという恥ずかしさ。
  • 間違った内容と結末を結びつけて行動してる者や、間違った道具の使い方をしてる人などが世の中の権力側にいるために、そして、実は間違った使い方をしてる人やコンピューターが多いが為に=誰も間違いを指摘出来ない・・・もっと言えば間違ってるとすら思っていない為に、いびつなまま世の中が動き、素晴らしい人材や、100%正しい事柄が排除されるのと同じ扱いで現役から退き、正しく扱われていない。これは全分野で起こってる事。・・・などなど、観察してると、してなくてもよ〜く理解できますね。
  • 最近のレフェリーはバックパスを知らない。・・・ってことを理解した。
  • 国籍やら人種ではなく、その瞬間、そのスポーツにおける技術などによって結末が決まることが普通のスポーツ。
  • 日本全国にスキー場は数えきれる程存在するが、一応数箇所除いて北海道の有名どころであったりちょっと小さなトコ含め、これまでの人生において数十ヶ所のスキー場で滑ってます。ニセコ富良野、札幌市内その周辺などなど・・・多いかどうかは別として。
  • 「バカ観察」とは別に、全てを自分の都合が良いようにしか解釈せず、相手の事情、理由、状況を一切考えない奴にはどんな事を試みても100%無駄であり、相手にしないのが最良と理解した。「正しい評価」や「事実に基づく評価」をあらゆる分野において100%出来ない事も理解し、その評価と個人的に好きか嫌いかの区別がつけられないということも完璧に理解した。こういう奴はそれまであらゆる事柄から守られ、批判すらされず、世間全ての評価が結果と共に常に高く、否定される要素がほとんどなく、ほとんどにおいて好意的な評価しかされてない人が多い=このブログ管理人とは正反対の人ということ。
  • 有言実行とは少し異なる、自らのスタイル=人生、方法、考え方、自らの技術などでレベルの高低問わずそれなりの「内容と結果の両方を達成してきた人」によく見られるのが、言葉や外見だけをその競技・技術とは一切違う角度から題材にされてバッシングされること。結果を残せば「カリスマ」となり、そうじゃなければ「言葉だけ」。特にスポーツ選手などが繰り返し己がスタイルを語り続け、皮肉のような新聞記事、雑誌記事などにされるのは「彼らの世界ではそのような自己主張が異物」だから。ここでいう「彼ら」というのはマスコミであり、突出した存在を受け入れない人間の集団。別の言い方をすると自らで考えること、勉強すること、決定することを止めた人間の集団で、その集団に属する者全てが同じ状態であることが絶対であり、「自分のスタイル」などと言うような輩は存在を認めない、認められない世界にいる集団。「自らのスタイル」を語り続けてる著名人のほとんどが「彼ら」を相手に説明を繰り返してる。「絶対に受け入れられない、最初から話しなど聞く気のない相手に100%無駄な説明を繰り返してる」そして、その説明を止めると「終わった=その人の活動/スポーツ選手なら現役などが」とされ、その手法を「彼ら」に乗っ取られる。その後「そのスタイル」は「彼ら」のものとなり、自らで考えられない集団は、永遠に、理解もしていない言葉の羅列でしかない「うわべだけのスタイル」を繰り返し続ける。粗悪なコピーでしかなく、その特徴として「彼ら」は「自分のスタイル」を説明出来ず、簡単に捨てる。そもそも自分で考えることも決定することも、勉強することも出来ない、その全てに自信などもっていない人間であり集団なため、その行動・決定からどんな事が後に起こるのかなどという事を当然考えられてるワケもなく、100%その途中経過や結果が滅茶苦茶。さらに、100%その後に残る、もしくは見せかけだけの発展など、悲惨な状態になっている。当然、その集団以外が主張する「自らのスタイル」は同じように、自動的に否定され続ける。それは「異なるスタイルの激突」ではなく、「自分で考えられない人間が表面的に真似してるだけのスタイルと自分で考えられる人間が自分で作り上げたスタイル」の無意味な、「考えられる人間」からの一方的な、無駄な説明であり続ける。

 このような集団が定期的に移動し続け、各地で「自らのスタイル」を主張する人たちを「潰し続ける」。集団殺人が発生し、著名人や「自らのスタイル」をもつ人々が奇怪な死を迎え、殺人の標的にされ、射殺されるのは「同じであることが絶対であるとされる集団に属する人」が、その集団、その考え方がいかに異常か、狂ってるかを理解せず、繰り返される「自らのスタイル」に耐えられなくなり、暴発した者による結果。・・・これは「価値観の相違」だとかの話しではない。
 個人の自由=続けるも止めるも自由・・・が奪われている状況下で起こる出来事。全てにおいて自由が存在しない場所でしかこのような出来事は発生しない。

  • タムードやデラペーニャ、スミリャニッッチなどに対する態度、起用法でありその後の経過に比べると、移籍が決定した中村俊輔を「エスパニョールラストゲーム」のような感覚でマラガとの試合に招集するエスパニョールってのは、普通のプロサッカーを、プロスポーツを見続けてる人には理解されず、受け入れられない管理。移籍期間が終わった今「放出」は、100%戦力外。どう考えても他の選手を使ったほうがいいだろう。今のスペインリーグの数チームには「チーム内に明確な派閥のあるチーム」がある。で、それを隠す為に、実力ある選手をスペインリーグ内で移籍させて活躍されるのは「差別していたチーム」としては困るため、他のリーグに移籍させるのも特徴。さらに、簡単には実力など変わらない現役絶頂期の選手が「その派閥がしたこと=起用しなかった事」を正当化させるために、あらゆるマスコミからそのプレーレベルとは無関係にバッシングされ、TVの映像としても凡庸な選手、チームなように報道される。この傾向はチェコロシツキーを筆頭に、技術の高い選手、ドリブルを得意とする選手によく見られる。・・・だからといって、今季ここまでの中村俊輔がそのような活躍をしていたかどうかというのは、これまでの所属チームの時と比べても、そんなことは無いとしか言いようのないもの、ってのは変わらないけれど。